その一つが駄菓子屋。駄菓子屋はお菓子だけでなく、たこ焼きにゲーム機など、まさに“近所の遊園地”と化していた。友達たちと多くの時間を過ごした思い出深い場所……今回は、そんな駄菓子屋で遊んだアーケードゲームを3つ紹介したい。
■スピードアップに定規が多用された『ハイパーオリンピック』
まずは1983年に登場し、少年少女を夢中にさせた『ハイパーオリンピック』(コナミ)だ。ファミコン版で初めてプレイした人もいるだろう。翌年にロス五輪が開催されるのを受けて、大いに盛り上がったアーケードゲームの一つだ。当時は前回大会のモスクワを日本がボイコットしているだけに注目度が高く、筆者も駄菓子屋に駆け込んだものだ。
『ハイパーオリンピック』は、100m走と走り幅跳び、110mハードル走、やり投げ、走り高跳び、ハンマー投げの6種目から成り立つ。
なんといってもこのゲームは、ボタン連打が何よりも重要だった。100m走や110mハードルはそもそもスピード命だが、ほかのフィールド競技も助走しないと飛距離が伸びない。
そこで連打が必要となるのだが、指や爪だと限界があり、痛みも増していく。その助けとなってくれるのが“定規”や”コイン”だ。とくに学生は定規をしならせて使うのが主流で、思いもかけないタイムが出るだけでなく、速い助走で飛距離も増していった。
ただ、気を付けないとならないのが、もう一つのボタンのタイミングだ。助走で夢中になり過ぎると、ジャンプや投げるタイミングを逃してフライングになってしまう。長押しで角度を変えていくのも斬新だった。
そういえば、やり投げで上に投げると隠しキャラの「宇宙人」を打ち落とせた。ファミコン版だとUFOだった気がするが、開発陣の遊び心を偶然見つけた時は感動ものだった。
(抜粋)
https://news.yahoo.co.jp/articles/f5c5ddedbd4f6e2e09f7bc2c7a18f815514f79f8
Mr.Do!も追加で
無限大やったぜ!
この時代の裏技はどうやって全国に広まったんだろう
マイコンベーシックマガジン
上手い人が別の地域のゲーセンに行って使う
別の地域のゲーセンに遠征して上手い人のプレイを見る
ゲーセンのコミュニケーションノート
駄菓子屋っつーとジャンプバグのイメージと言うか思い出
パックマンとかギャラクシアンはデパートか旅館のゲームコーナー
ジャンプバグ!1周クリア出来るコスパ高い好きな奴
定規で擦ったりむちゃしたもんだ
これ! 10円玉をいかに落とさないで進むやつな。
同じく
ゼビウスのデッドコピー品
この数字見ただけで泣きそうになった
昔旅館の温泉に行く廊下にあって500円くらい吸い込まれた
同じくw
駄菓子屋臭するゲーム
これ
ワンプレー10円だった
影の伝説
ディグダグ
ギャラガ
あーわかるなー。
ただ俺としては
OUT→ギャラガ
IN→魔界村
だな。
大きいお兄ちゃんのプレイを後ろで見てるだけでも楽しかった小3の習い事帰り。
これだわぁ
クレイジークライマーではなくて?
エポック社のクレイジークライマーだ!ばかものが!
それは家庭用w
アーケードはニチブツ製
正確にはジョルダン
管理してるおっちゃに見つかると電源オフ(・∀・)
熱血高校ドッジボール部
ドラゴンバスター
ファイナルファイトもあったかも
平成混じっとるやんけ。論外。
小学生に囲まれたな
カツアゲされたのか
10円玉を投入して左右上下のレバーを弾いて10円玉を無事にゴールさせたら景品引き換え券板が出てきた。
少年用パチンコみたいなもん。
はまってた友達が大人になったらパチンコ好きになってた。
アラ還暦ならゲーセン無いし10円アナログゲームやなぁ、高校ときはインベーダーが茶店で流行ったがな
すごい上手いやつがやってるのをずっと後ろで見てた
ルート16
10円咥える犬のやつ
シーソーで風船割るやつ
国取り合戦とかドライブとかコインを上まで運ぶ謎のゲームとかの
もっとアナログなやつやろ
さすがに70年代では
温泉地のホテルとかのゲームコーナーにあった記憶
有野課長がたまゲーでよくやってるやつ
とにかくよくできてた
俺もそう思う
たいしてお小遣いもらえなかったけど上から下まで楽しんでた
平成生まれもいるだろ
2000年代初期まではちらほら駄菓子屋は残ってたし
おもちゃ屋はファミコンが置いてあって無料でできたな
スーファミだったかな?
ついに見つけた「コナミックスポーツインソウル」
競技数が多くて当時えらいはまった
>>1は時代が違いすぎる
メタスラは駄菓子屋の淘汰が進んだ平成だろ
スレタイ読めよ