「今でも何かの拍子に思い出すと眠れなくなるんです」
「あのときのことは自分の中で、この50年間、封印してきました」
自宅のリビングで筆者と向き合った吉田博光氏(87・仮名・以下すべて)は、ぼそりと切り出した。半ば予想していた言葉だったが、はっきりとそう告げられるとやや動転した。それに構わず、吉田氏は続けた。
「今でも何かの拍子に(事件のことを)思い出すと、もういけない。夜も眠れなくなるんです」
その言葉が何よりも雄弁に50年前に起きた事件の本質を物語っていた。
異彩を放つ加害グマの異様な執着心と攻撃性
〈クマに襲われ三人不明 ――日高山系縦走の福岡大パーティー〉
1970年7月28日、北海道新聞に衝撃的な見出しが躍った。リードはこう続く。
【日高山系を縦走中の福岡大学ワンダーフォーゲル部のパーティー五人がクマに襲われた。二十五日午後から二十七日朝まで、逃げる学生たちに執拗につきまとい、次々と鋭いツメを振るってうち三人が行方不明となっているが、身のたけ二メートルという凶暴な大グマだけに、その安否が気づかわれている】
だが学生たちの家族や関係者の祈りも空しく、事態は最悪の結末を迎える。
〈クマに食い殺されていた 無残 全身にツメ跡〉(1970年7月30日付西日本新聞)
全文
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20201122-00041275-bunshun-soci
あんた、熊と対峙させるぞ
国立大学だよな?
国立大だからって地頭良いとは限らん
カッペでもなきゃクマの生態なんか知るわけ無いだろ
今みたいに情報が溢れてるような時代じゃないぞ
あの話の中に出てくる他所の学生とかはもっとまともだったはず
当時はネットもWikipediaもなかったから気軽に福岡大学ワンダーフォーゲル部事件の記事を読むことができなかった
登山部じゃダメなのか?
登山部はロープやピッケル等いろんな器具を使って山を登るけど
ワンダーフォーゲルは基本そんなものは使わないで足のみ
登山部よりガチな山師
素人感覚ではあらゆる道具を使って困難なところにも登ってしまう方が難易度も高くガチに思える
自分の足だけでって、それでは結局行けるところが制限される縛りプレイなのでは?
まあ当時健康を養うと言う理由で軽い登山が流行していた。
ツキノワじゃあるまいし全滅不可避
たぶん無理だろ
ピットブルですら人が思いっきり棒でぶん殴ってもまるできかないからな
熊は犬なんかよりももっと頑丈だぞ
銃でも小口径じゃ止まらないんだから不可能だわ
動物園に行って成体のヒグマを見てこい
こちらの生死があちらの気分次第であることがよくわかる
なんかおかしくないか
同じタイミングで山に入ってた別パーティのメンバー
福岡大パーティとも一時合流してるというか、何ならこっちも犠牲になってた可能性もあった
しかも殴られたらワンパンで終わりでしょ
まぁ無理ゲーよ
それこそ銃無いとどうにもならん
ヒグマって手が短いから鋭いフックを打てるんだぞ
クリンチするとそれが仇となり熊はお手上げ
飛び込めばこっちのターンしかない
ワンパンで逝けるならベストシナリオだろ
生きたまま柔らかい腹部から食いはじめて途中で埋めて翌日までとっておくんだぞ
熊に会ったら死んだフリ
熊は坂道を降りるのが苦手
この俗説は、30年前くらいまでまかり通ってただろ
50年前なんてもっとひどそう
ヒグマの執着心は物凄いので、ブチギレで人間を全滅させるまで波状攻撃をしかけてきた。
被害者が荷物を熊に取られて、取り返してしまったんだよね。
それで熊の執念深い性質に火がついてしまった。
実際餌目的の殺害ではなく、自分のモノを奪われたと思った熊の怨恨による殺害なんだよね。
このメスグマはあちこちに出没していたのが目撃されている。
目的は人間をビビらすと落として行く美味しい食い物。
最初は人間を殺害するまでではなかった。
こういうのは、エスカレートするんだよ、人間にもこういうヤツはいる❗
三毛別も、女房の足だったかな
持って帰ったな。。。。
実際、北海道の大学生もその時に同じ山にいたが
ヒグマの気配を察知してすぐ下山してる。
やっぱ地元民は決断が早い
九州の大学生で九州にクマはいないから不勉強だったとは言われているね。
被害者を責める訳ではないけど。
北海道の学生は高価な登山用具を全て捨てて下山したらしいな
やっぱ危機管理の長けてる奴は凄いわ
力士よりでかいような熊になんて何も出来ないよ
この人馴れしたクマはな。
槍じゃ勝てん
銃持ちのマタギでも返り討ちにされる可能性あるレベル