投稿日:2023/04/19 14:19 更新日:2023/04/19 14:19
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4月18日に公開されたお笑いコンビ・ダイノジのYouTubeチャンネル「ダイノジ中学校【ミュージックチャンネル】」の動画には、元JUDY AND MARY(愛称:ジュディマリ)のドラマー・五十嵐公太さんが登場。ジュディマリ結成秘話や裏話を明かし、ダイノジの二人を驚かせました。
■大谷ノブ彦、恩田快人のギャップに驚愕
今回のゲストは今年還暦を迎えた五十嵐公太さん。音楽はメタルが好みで、もともとメタル系のバンド・十二単やT.V.のドラムをしていました。
社会現象を巻き起こすほど一時代を築いたジュディマリ。五十嵐さんが毛色の違うジュディマリに加入したことについて「29歳」の時のことだったと振り返ります。
五十嵐さんは、ベースでジュディマリのリーダーだった恩田快人さんと知り合いだったそう。当時、五十嵐さんがメタル系バンドで活動する一方で、恩田さんはジュディマリ結成前JACKS′N′JOKERというバンドで活躍していました。
そのJACKS′N′JOKERは、深作欣二監督がメガホンを握った映画『いつかギラギラする日』(1992年公開)にJACKS′N′JOKERの役柄のまま出演。
(※中略)
■「エキストラも捨てたもんじゃない」YUKIがスターダムを駆け上がるきっかけが夢ありすぎ
ここで、五十嵐さんからジュディマリの結成秘話がポロリ。
『いつかギラギラする日』ではライブハウスでJACKS′N′JOKERが曲を披露する場面があり「一番前の足組んで座ってるのがYUKIです」と話す五十嵐さん。なんと『いつかギラギラする日』にエキストラでYUKIさんが出演していたと言うのです。
そこで「恩ちゃん(=恩田さん)と知り合って」と、YUKIさんと恩田さんの出会うきっかけになった映画でもあるとのこと。その共演を機に「一緒にやる?」という話になったため、五十嵐さんは「エキストラも捨てたもんじゃない」と夢のある出会いを語りました。
■「ここまで言っていいのかな」ジュディマリに加入した理由はお財布事情!?衝撃の告白
ただ、五十嵐さん自身は「(ジュディマリの)お手伝いだった」と最初の頃はサポートメンバーだったと告白。
2年後に「ちゃんと給料も出すから」と正式メンバーに加わるようオファーがあったそうですが、プログレッシブ・ロックとメタルのジャンルを歩んでいた五十嵐さんは「2回断りました」とのこと。音楽性の違いに加え「それまで2つバンド失敗してたんで、バンド絶対無理」と思っていたのが断った理由なのだとか。
さらに、内心では「バンドって売れないじゃないですか」と思っていた五十嵐さん。しかも、バリバリのアメリカンロックが好きだったため、当時売れていたBUCK-TICKやユニコーンが見た目はロックなのに、メロディがJ-POPということに馴染めなかったそう。
巷でBOOWYの音楽を耳にすると「なんでこれが売れるんだろう。ロックじゃねぇじゃん」と卑屈になっていったという五十嵐さん。シンプルなロックより、さまざまなテイストを織り込んだロックをやりたかった五十嵐さんですが「ここまで言っていいのかな」と当時ジュディマリに加入する理由となった出来事を明かします。
それは「バブルが崩壊したんです」。お財布事情が背景にあったとリアルな理由を告白します。
ドラムのプレイヤーとして存続するか否か「人生の岐路」に立ったとき「(ジュディマリの音楽は)好きじゃないんだけどな」と思いつつもジュディマリの正式メンバーになることを決意。
結果、東京ドームでコンサートを行う人気バンドになったことについて「逆に皮肉だなと思いましたよ」と喜びとは違うものを感じたそう。「自分の好きなものが評価されるわけじゃないし、でも売れる時っていうのはこういうことなんだ」と複雑な心境だったと明かします。
ジュディマリの人気は、五十嵐さんの想像をはるかに上回っていたようで「誰かがなんか操作してるみたいな。怖かったですね」と有頂天にならず、一歩引いた目で客観視していたと語りました。
■ジュディマリ結成秘話に視聴者「ありがとう」
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
(文:霧島みつき/編:おとなカワイイwebマガジンCOCONUTS編集部)
そういうのがなくても再結成はないから
YUKI側が絶対OKしないから再結成は無理
思い出はいつも綺麗だから再結成なんてしない方がいい
散歩道一番好きだから調べてきたらほんまやw
しかもOver Drive→TAKUYA、そばかす→恩田、散歩道→五十嵐でバンドの代表曲がメンバーそれぞれ作曲してるのってバランスいいな
Yuki人気だもんね
で、三人ともYukiに嫌われてるし
良い風に言わないだろうね
じゃあむしろジュディマリとして纏まってた方が奇跡なのかw
素人時代のYUKIは恩田のファンだったんじゃなかったっけ?
YUKIより友達の方が恩田のやってたJACKS′N′JOKERのファンだった
映画『いつかギラギラする日』での北海道のライブハウスでのシーンにエキストラで参加したのも友達に誘われたから
>巷でBOOWYの音楽を耳にすると「なんでこれが売れるんだろう。ロックじゃねぇじゃん」と卑屈になっていったという五十嵐さん。シンプル
さり気なくバクチクユニコーン暴威disってて笑う
実際そうだからな、ちなみに暴威は当時のプロデューサーによると歌謡曲ロックは本人達の希望で自分やレコード会社が無理矢理やらせたわけではないそうだ。
ロックかどうかとか、パンクかどうかとか、いま考えたらどうでもいいことだったな
結局、いいものが語り継がれるだけのことだった
>「なんでこれが売れるんだろう。ロックじゃねぇじゃん」
という気持ちが「散歩道」には込められてるんだな。
クジラ12号は楽しげだけどね
当時、金無くてラッキーだったな
ってことかな
何がどう転ぶかは、わからないよね
ジュディマリもボウイもそんな好みじゃないけど散歩道は好きだったわ
売れる
両方とも役満みたいなもんだ
それ同時に成してるやつとか
この世にいるのかね?
鬼滅の刃の作者も、かなり妥協して妥協した
って聞くしな
やりたいこととできることのギャップなんてどこの業界にもあるしな
そういうの考えずにやれんのは責任のないアマチュアだけだというのは表現者はみんなわかってる(はず)
そこら辺をそんなふうに思うなら、自分のバンドやってて嫌で仕方なかっただろう
いや、思いっきりそうだったって話してんじゃんw
ほんこれ
とてもそう思う
あのバラバラの空気感の原因の一人なの自覚はしてるだろ?
そう思って仕事すると好きな事も嫌いになるほど仕事って大変なんだぜ
売れると性格変わるがいい方向に変わったんじゃないかな
色々言うやつほどだめってこと
本音はギャラでメンバーが揉めた、がほとんどだからな
どの業界でもお金は大事だよ~
仕事楽しくないならせめて報酬は欲しい
そこから学んだBzはボーカル作詞・ギター作曲で双方印税が入る形にして
あとは給料払ってサポートメンバー揃えてやってるので長く続いてる
こういう話はもうしても大丈夫だよね
大黒摩季、ユキは北海道出身だからな
あのチグハグなJPOPだからこそ、他と違う感じで尖って聞こえたんだと思う
ジュディマリ解散後は大して活躍してないのが
なんとも悲しいよな
結局Yukiありきだったんだな
布袋、hideにはなれなかった
まぁでもTAKUYAは今でも歌番組とかで時々見るな
テレビから聞こえてくるのでしか聞いたことなかったけど
走るー雲のー♪とかめっちゃ記憶に刻まれてる
メインで人気ある藤井フミヤは一切チェッカーズの話しない
するのはいつも他メンバー
そういうことなんだよ
絶対復活しないバンドの一つに挙げられるくらいだし
実は男3人のそんなに仲悪くない
たまに遊びで集まって他のメンバーのライブに飛び入り参加したりとかしてる
YUKIが恩田からTAKUYAに乗り換えたりとか、YUKIとTAKUYAがガキ過ぎて10歳年上の五十嵐がもっと社会人らしくせえと説教しまくってたのが人間関係拗らせとる
これ豆な
これ言って良いのかな・・
聞き手を寄せ付ける枕みたいなも w