あるいはアメリカに目を転じても、エリート経営者の教育機関として名高いアスペン研究所では、世界中で最も「時給」の高い人々であるグローバル企業の経営幹部候補が集められ、風光明媚なスキーリゾートとして知られるアスペンの山麓で、プラトン、アリストテレス、マキャベリ、ホッブズ、ロック、ルソー、マルクスといった哲学・社会学の古典をみっちりと学んでいます。
彼らはなぜ、ともすれば「役に立たない学問の代表」とされがちな「哲学」を、これだけプライオリティの高い学問として学んでいるのでしょうか。アスペン研究所設立のきっかけとなった1949年の国際カンファレンス「ゲーテ生誕200年祭」において、発起人の一人であるシカゴ大学教授(当時)のロバート・ハッチンスは「リーダーに教養が求められる理由」について次のように言及しています。
・無教養な専門家こそ、われわれの文明にとっての最大の脅威
・専門家というものは、専門的能力があるからといって無教養であったり、諸々の事柄に無知であったりしていいものだろうか
(日本アスペン研究所HPより)
実に強烈です。哲学を学ぶと「役に立つ」とか「カッコいい」とか「賢くなる」ということではない、哲学を学ばずに社会的な立場だけを得た人、そのような人は「文明にとっての脅威」、つまり「危険な存在」になってしまうというのがハッチンスの指摘です。
ひるがえって、わが国の状況はどうでしょうか。たまさか、筆者は先日ある経済団体の集まりに問題提起者として参加し、財界を代表する経営者と「文化と企業」の関係について議論する機会を持ちました。しかし、ここでわかったのは、このテーマについて、まともに「自分の意見を述べる」ことができる経営者が、少なくともその場にはいなかった、ということでした。多くの経営者は「文化は儲からない」「祇園におカネを落としたいが時間がない」といった幼稚なコメントに終始し、まともに「企業経営が文化形成に与える影響」について議論することができませんでした。
一方で、このように無教養な「お金儲けの専門家」によって率いられている多くの日本企業から、子どもでさえ仰天させるようなコンプライアンス違反が続出しているわが国の状況を鑑みれば、このアスペン研究所設立の前提となったハッチンスの問題意識が極めて予見性に満ちたものであったことがわかります。
https://toyokeizai.net/articles/-/221844
権力があって誤解してるのがもっと危ない
あと企業哲学では社長は善
したがって社長は完璧な哲学者
哲学者は頭でっかちの馬鹿が多い
無酸素空間でどういう哲学が存在するか試せばいい
ビニール袋なんか便利だぞ
定着率が低い中、唯一の20年在籍ということで部長職
仕事内容は酷すぎて部下から罵詈雑言浴びてるけど
それに人間の本質を表すイソップ寓話を
加えて知れば哲学に匹敵。
流されてるだけ
それは生きていると言えるのだろうか
これを同列に扱うのは、最近の存命のスポーツ選手、長嶋〜羽生まで
を同じ評価にするわけで意味がないのね。スポーツ選手なんて意味ないじゃん
と言えばそれまでだけれど。
同列じゃなくて、時系列。
プラトン→アリストテレス→マキャベリ→ホッブズ→ロック→ルソー→マルクス
という流れ。
「民主主義とはなにか」「差別とはなにか」「これは差別化どうか」そういうことを
ちゃんと議論できるようにしないから、弱者利権ばかりはびこる。
精神が成熟してないからな
すぐ周りに流されるから半万年理解できない学問だと思うわ
広報のじじい
哲学なんて根性がひん曲がるだけ
って、中国起業じゃねーんだからさって思う。
本質的にはビジネスの成功とは無関係。
歴史には文盲の覇者だっているし人間教養、
ストリートで培った教養でもやっていけるから。
アイビーリーグとかヨーロッパのエリート層は「会社員」を
養成する大学なわけ。
市場選択じゃなくて、閉鎖的な世界で階層やグループ内で
社会構造を維持するための人材
長く生き残るには教養は必要なんじゃないのかなと
企業理念的な
哲学を軽んじる教養人は教養人じゃない
理系も文系も専門馬鹿ばかりになって、全体を見て舵を取れる人間が
少なくなった。
しかも、ニッチな専門馬鹿ほど教養や哲学を馬鹿にし、
偉そうにするから困ったもんだ。